強弓

こんばんは、玄武です。

今回は少し前の記事の射抜くの続き。

生矢神社の氏子であります「手柄屋台」の
詳細です。

写真のご提供はいつも御世話になっていまして
相互リンクして頂いています
魚吹のまつりの管理人さん「ぐじさん」です。

写真の撮影場所は
H21年度の例大祭の宵宮の亀山本徳寺前の
「手柄」「亀山」練り合わせ前に休憩されている所です。

※写真はクリックすると少し大きくなります。
  一部の方は除く。

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手柄屋台の露盤(ろばん)の一部
日本の神話を取り入れられています。
詳しい場面は存じていません。

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写真の左は総才端(そうさばな)。「飛龍」

右は高欄の部分。男柱になります。
出世を願う「鯉」の金具が見えますね。

Sdsc_0113
こちらは手柄屋台の狭間(さま)
場面は「鎮西八郎為朝の強弓」です。

亀山の露盤にも同一の場面があります。

場面の説明は以下にて。

保元の乱に敗れ伊豆大島に流されたにも拘ず
近隣の島々を押領していた為朝は、
狩野介持光に軍船にて攻め寄せられた。

しかし、為朝が岩上に立ち先頭の船に狙いを定め
大弓を引き絞り矢を放つと、見事に命中し、
たった一矢にて沈めたので
為朝の強弓と後世にまで語り継がれている。
(過去の当ブログ記事より)

休憩も終わり・・・
いよいよ亀山本徳寺の駐車場に
練り合わせに向かいます。

続きは次回以降になります。

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17万アクセス感謝!

こんばんは、玄武です。

平成21年度、生矢神社秋季例大祭が
終わり一ヶ月が過ぎようとしています。

連日沢山の方々にご訪問して頂き
本当に有り難うございます。

普段はアクセス解析に興味が無い身ですが
アクセスが集中した時に生じるアクセスのズレ
の補修などの作業などで、最近、解析を見ています。

開設当初はごく親しい友人しか言っていなかった
当ブログ。

連日、沢山の県内の方々に、ご訪問して頂ける事に
嬉しさと感謝の念で一杯の筆者ですが
最近は、他府県の方のご訪問者様が
増えている事にも驚き、播州の祭りに
親しんで頂けている事に改めて感謝した次第です。

ボチボチの更新で歯がゆい事もあるかと思いますが
今後ともゆっくりのペースでお付き合い下されば
幸いです。

今後も「屋台蔵」を宜しく御願い致します!

Simg_7098
今、お気に入りの写真の一つ。

H21.生矢神社秋季例大祭、本宮の亀山屋台の宮入。

空の色、屋台差しが最高に素敵です。

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射抜く

こんばんは、玄武です。

今回は以前からご紹介しています
生矢神社秋季例大祭の宵宮の様子。

前回の記事はのんべえ(反省)

今回は手柄屋台の詳細を少しお伝えします。

写真のご提供はいつも御世話になっていまして
相互リンクして頂いています
魚吹のまつりの管理人さん「ぐじさん」です。

Sdsc_0109
こちらは手柄屋台の狭間です。

場面と人物は後程としまして、何を射抜こうとしているか
分かりますか?

あまりにも有名な場面ですから、
ご存知の方も多い事でしょうね。

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讃岐国屋島(現高松市)沖の平家軍の扇の的

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改めて場面のご紹介。

場面は「那須与一の扇の的射」

人物は源氏軍の弓の名手、「那須与一宗高」

以下は場面の簡単な説明です。

寿永4年(1185年)2月、讃岐国屋島にて
激しい源平合戦が行なわれた。

夕刻となり両軍が兵を撤収しかけると
平家軍の方から一艘の船がやって来た。

船の先には紅地に金の日輪が描かれた扇を
竿の先に挟んで船べりに立てて
陸の源氏に向かって手招きをしていた。

これを見た義経は、弓の名手である那須与一に
扇を射抜くように命令した。

那須与一は馬を海に乗り入れたが
扇の的までは約70メートルもあるうえ
北風が激しく吹いていたので、扇の的は小舟と共に揺れていた。

「南無八幡」と心に念じた与一が渾身の力で矢を放つと
矢は見事に扇の要近くに命中した。

扇は空へ舞い上がりヒラヒラと海へ落ちた。

物語が忠実に再現されていますね。

次回に続く。

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ド迫力!

こんばんは、玄武です。

今回のご紹介は以前からご紹介しています
H21年度の湊神社秋季例大祭の
本宮の様子を御紹介します。

前回の記事は邁進

今回の屋台は個人的なイメージですが、
とにかく“厳つい”屋台です。

何せ気合いが入っていましたね。

流石ですね。

屋台練りを間近で見て鳥肌が立ちました。


ちなみに・・・この動画は先行公開してました。
次の動画は・・・。

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救いの手

こんばんは、玄武です。

何日か前の記事でちょっと書きました、
〇〇の打ち合わせ。

昨日(11/4)に亀山公民館にてありました。

それは何かといいますと、「狭間(さま)」の
補修に関しての打ち合わせでした。

何の補修かの前に、どの場面なのかを
ご紹介しておきます。

※写真はクリックすると一部の方を除き
  少し大きくなります。

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亀山屋台の狭間。

場面は「桜井駅楠公父子訣別の場」

取り付け位置は真左(東)

三代目、松本義廣

昭和22年製作。

場面の説明は以下にて

大忠臣・楠木正成は、足利尊氏を兵庫浜にて
邀撃するという不利な戦に挑まねばならなくなった。

出陣する時に正成は桜井駅に息子の正行を呼び
形見の短刀を手渡し今生の別れをする・・・場面。

諸説によりますと「父・楠木正成」が「息子・正行(マサツラ)」
を桜井駅に呼び出し形見を手渡しこう言ったそうです。


「私は生きて帰らないつもりで戦場に向かうのでお前は

故郷の河内に帰って朝廷に忠誠を誓いなさい」

当時、息子の正行は(推定)11歳とされています

当ブログの以前の記事今生の別れより。

話は戻りますが・・・補修に到る経緯を少しご説明。

今年の本宮の村に入っての休憩時に入った時・・・
世話方が私の所にあるものを持ってきました。

これってひょっとして・・・。

う~ん・・・

確かに見た事ある・・・。

正行(マサツラ)でした。

そう。

上記の説明で太字で表記している「正行」。
つまり、「楠木正成」の息子になります。

取り合えず、この後に村練りも続く事もあり
破損しては大変だからと祭典委員の方に
本宮終了まで預かってもらいました。

祭りが終わり、祭典委員長から「正行」を預かり
本宮の次の日の片付けの日までの一晩、
私個人が預かっていました。

下の写真は破損した狭間の一部の「正行」。

Simg_7150
狭間全体の写真でどの場所かお分かりでしょうか?

狭間全体の写真でいいますと、ちょうど中央のあたりの
一番手前の人物になりますね。

折角ですので、色んな角度から撮影。

関係者以外は絶対に、この角度からは
見る事は出来ません。

ある意味貴重な写真かも!?

Simg_7151 Simg_7152
Simg_7153 Simg_7154
裏側などは一般ではまず見れません。

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どうです。

いい表情でしょう!

・・・であくる朝の片付けの日。

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こちらが破損した部分の狭間になり・・・。

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井筒の上に乗せた状態の「正行」。

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本来はこの様な状態だったんですね。

文頭に書きましたが打ち合わせは“これ”を含む
「狭間」と「露盤(ろばん)」の点検(補修?)の件です。

祭り終了後に棟磨き等で御世話になっています
砂川仏檀店・砂川漆工芸さんに相談をしており
昨日(11/4)の打ち合わせとなりました。

数年前にも露盤の点検、補修をして頂いた事もあり
今回も色々と相談に乗って頂き、店で点検後に
補修する事となり、預かって頂きました。

最後にちょっとだけ・・・。
来年の話になりますが・・・。

亀山屋台は“金具の洗い(総メッキ)”をする
予定と聞いています。

その流れで、亀山もついに〇〇を止めて
〇〇〇になるとか、ならないとか・・・。

まあ、あくまで予定ですけど・・・。

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待ち受け

こんばんは、玄武です。

私事ですが・・・。

最近の携帯の待ち受け画面です。

Image018011
生矢神社秋季例大祭の宵宮。

亀山町の出立ち前の我が息子。

息子は真剣ですが、
待ち受けにする私はかなりの親バカでしょうね。

しかし、“いっちょまえ”の格好です。

自分でタンスから法被を引っ張り出し、
鉢巻も自分で用意しました。

流石に鉢巻を締めるのは嫁でしたが
嫌がらず、父親の私の真似をしているのでしょうか。

屋台に近寄り、「ヨーイヤサー」を連発していましたが
亀山玄武会の仲間も「(屋台を)差せ、差せ!」
と言っていましたね。

いずれ青年会に入り、仲間と一緒に
亀山屋台を練る時が来るかもしれません。

少子化の問題は深刻と他地区でも聞きます。

今から息子達の将来の為に
村の事で出来る事はしていこう。

その為に亀山玄武会は活動していきたいと思っている。

ただ、今は・・・。

息子と一緒に屋台を練る時が来ると信じて。

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のんべえ(反省)

こんばんは、玄武です。

今日(11/3)は寒かったですね。
仕事でしたが、寒くて震え上がってしまうほどでした。

生矢神社の祭りが終わり、一ヶ月近く経ちますが
急に寒くなったのもあり、妙に寂しく感じます。

という事で、今回は生矢神社秋季例大祭の
宵宮の様子です。

前回は馴染みの場所

台車での村練りが続く中、私を含む
“飲兵衛”の集団となった亀山玄武会の数人は
屋台から離れてしまいました。

後で、青年会から説教されましたが
今後の練りで頑張って取り返すという事で
許して頂き・・・。

いやホント・・・情けないです。

結論から云うと、この後の手柄との練り合わせで
  亀山玄武会は頑張りをみせて無罪放免となりました。
  青年会の皆様、反省してます。スイマセン。
※手柄との練り合わせの様子は、また記事にします。

話は戻り・・・。

数人抜けた中でも亀山町は魅せてくれました。

Sdsc_0087_3
亀山町の3区になります。(恵美酒第二マンション付近)

この場所は生矢神社と恵美酒宮天満神社の
境になります。

恵美酒第二マンションは恵美酒宮天満神社の
氏子であります「小瀬」になりますが、道路を挟んで
反対側は生矢神社の氏子であります亀山町になります。

ちょうどその付近での練りで、前日に例大祭の本宮だった
小瀬町の皆様が片付けの途中で見に来られていました。

Sdsc_0089 Sdsc_0015_3
気合いの屋台練りで前に進む!

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屋台を練る、練り子の表情。

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この後、台車を入れて休憩場所に向かいます。

ちょうど、この頃・・・。

Sdsc_0017_2
手柄屋台が休憩場所に来られていました。

この場所から200m~300mぐらい北に行くと
亀山本徳寺があります。

手柄町の皆様がこの場所に来られたのは
私が記憶している限り、初めてじゃないでしょうか。

亀山町もすぐに合流して暫し休憩に入ります。

次回以降に続きます。

写真のご提供は、いつも御世話になっています
相互リンクして頂いています
魚吹のまつりの管理人さん「ぐじさん」です。

ぐじさん、いつも有り難う御座います!

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