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2009年1月

当意即妙

こんばんは、玄武です。

昨日はアクセスが凄かったです。
とある掲示板に当ブログの情報があったので
その影響でしょうか・・・。
閲覧して頂き、本当にありがとうございます。

さて今回は「高欄掛」のご紹介です。

まずは写真をご覧下さい。

※写真をクリックすると少し大きくなります。
Photo
この写真は平成20年9月14日に執り行われました
飾磨、恵美酒宮天満神社、「北細江屋台」完成式で
撮影しました「高欄掛」。

取り付け位置は「裏正面」

人物は「源義経」

場面は「鵯越え」

京都川島織物謹製。

人物は改めてご紹介する必要もないでしょうね。

では場面ですが、
当ブログでも過去に数回、ご紹介しています。

下記の太字をクリックして頂くと過去の「鵯越え」の
記事をご覧いただけますので、宜しかったらどうぞ・・・。

鹿は四足、馬も四足

※北細江屋台の他の高欄掛は下記をクリックして下さい。

「当意即妙」・・私生活でもすぐに出来れば・・・。

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記事の訂正とお詫び

こんばんは、玄武です。

1/23付けの記事内容が違っていました。

1/27に播州福泊港さんより場面の間違いを
ご指摘いただきました。

記事は1/23投稿の記事で現在(1/28 .0:10)は
本文を訂正(一部削除)しています。

本文訂正に伴い、タイトルも変更しています。

関係者の方々、読者の方々ご迷惑をお掛けしました。

本当にすいませんでした。

Simg_3771
正しい場面は「西塔鬼若丸の鯉退治」でした。

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折れたのが・・・

こんばんは、玄武です。

今回のご紹介は平成20年9月21日に執り行われました、
「英賀(あが)神社」西浜屋台完成式で撮影させて頂いた
狭間(さま)のご紹介です。

まずは写真をご覧下さい。

※写真をクリックすると少し大きくなります。
Photo
「英賀神社」西浜屋台の狭間。

場面は「赤松弾正氏憲と長山遠江守の勇戦」

彫刻師は
「二代目 小河義保」 師 と「高谷木三郎」 師の合作。

取り付け位置は「正面」

場面の説明ですが、

「赤松弾正」は何処の誰かも分からぬ敵を倒すのを
納得していなかった。
そして自分の力に見合った敵を待ち望むようになった。

そんなある日、噂に聞く「長山遠江守」に出会い
対決するという場面。

「長山遠江守」も腕には自信があり
負けたことが無かった凄腕の武士でした。
何より「長山遠江守」は凄い武器を持っていました。

刃渡り八寸もあろうかと思われる大鉞(まさかり)。
それは相手を一撃で倒すほどのもの・・・。

勝負は・・・というと
「長山遠江守」が振りかざした鉞を「赤松弾正」が掴み取り
もみ合っているうちに柄が折れてしまった。

鉞の柄の根元は「長山遠江守」に
鉞の刃の部分が「赤松弾正」にわたった。

「長山遠江守」は恐れをなして逃げてしまった。

「赤松弾正」は「長山遠江守」を仕留めそこなったので
大変悔しがったそうです。

現代でこの場面を“コント”にしたら面白そうですが・・・。

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平成20年 湊神社 宵宮「福泊屋台」宮入

こんばんは、玄武です。

今回は久しぶりに動画のご紹介です。

今回は平成20年 的形「湊神社」宵宮の
「福泊屋台」宮入の様子です。

気合いの入った宮入です。

※デジカメでの撮影ですので手振れ等があります。
 ご了承ください。

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“弁慶の鯉退治”

こんばんは、玄武です。

昨日は家族で食事に行きました。

行ったお店はいつもお世話になっていて、
また、相互リンクして頂いています
酒好きおやじの一夢庵さん。

楽しい時間が過ごせました。

本当にありがとうございました。

※記事の訂正のお詫び

1/27に播州福泊港さんより場面の間違いを
ご指摘いただきました。

早速記事の訂正をして本文を
(一部削除)書き直しています。

関係者並びに読者の皆様、
本当に申し訳ありませんでした。

・・・という事で、新たに場面をご紹介いたします。

※写真をクリックすると少し大きくなります。
Simg_3771
この写真はH20年 4月24日から5月11日まで
「イーグレ姫路」で開催されていました
「 匠の技 播州祭り屋台伝承展 」で展示されていた
「高欄掛」です。

場面は「坂田金時(さかたのきんとき) 鯉退治」

場面は「西塔鬼若丸の鯉退治」です。
製作者は四代目 絹常の小紫 雅康
製作時期は(推定)昭和初期。
所有は三木 岩壺神社、東條町です。

播州福泊港さんに教えて頂いた場面の説明は
以下の通りです。


鬼若丸=弁慶です。
比叡山の西の塔に隔離されていたから
西塔(サイトウオニワカマル)です。

完璧な間違いでした。
すいませんでした。

また間違いをご指摘くださった播州福泊港さん
本当にありがとうございます。

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見れる場所と見えない場所。

こんばんは、玄武です。

最近どうも調子が悪いと思っていたら、
しっかりと風邪をひいていました。

しかし、脅威の回復力!?で今はマシになりました。

皆さん、お体ご自愛くださいませ。

さて今回は本当に本当にマニアックなネタです。

まずは、写真からどうぞ・・・。

※写真をクリックして頂くと少し大きくなります。
Img_4477
この写真は平成20年9月21日に執り行われました、
「英賀(あが)神社」西浜屋台完成式で撮影させて頂いた
露盤(ろばん)の裏側です。

彫刻は「二代目 小河義保」 師 と「高谷木三郎」 師の合作。
露盤にある黒い円は擬宝珠(ぎぼし)の跡です。

関係者の方はこの部分の文字はよく見れるでしょうが
一般の方は、なかなか見る事が出来ません。

他の場所にも、お二人の師の名前が記されています。
Img_4531
英賀、西浜屋台の狭間(さま)の一部の写真です。

狭間には四面とも名前が表記されています。

こちらは祭りの時に皆さんでもご覧になれると思います。
但し、屋台の側まで近付かないと見えないかも!?

時々、本当に本当にマニアックなネタが出てきます。

こんな「屋台蔵」ですが、今後とも宜しくお願いします!

露盤や狭間は全てご紹介していませんが追々記事にしていきます。

屋台の名称等が分からない方は下記をクリックして下さい。

屋台詳細:(URL)

http://www.urushinuri.com/yataisyousai.htm

いつも取材でお世話になっています
「砂川仏壇店さん」のHPより。

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地名の由来「飯田編」

こんばんは、玄武です。

今回は以前にご紹介しました
地名の由来「亀山編」 の続編!?としまして
生矢神社の氏子であります「飯田(いいだ)編」です。

江戸期から明治22年(1889年)までは「飯田村」
その後「手柄村飯田」となり現在の「姫路市飯田」
となっているそうです。

地名の由来として、安倍晴明と競い、敗れた後に
播磨に流された陰陽師「芦屋道満」の子孫の「道善」が
近くの三宅に住み施薬の為、薬草を栽培した「医田」を
経営したと伝えられ、「医田」が転じて
「飯田」となったとされています。

年配の方が「イダ」と呼ばれるのも、
こうしたところからでしょうか?
Dsc_0153
H20年「生矢神社」本宮の「飯田屋台」

※町名の由来は諸説の一部より記事にしています。

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風林火山のように・・・

こんばんは、玄武です。

今回のご紹介は、
H20年度「生矢神社秋季例大祭」本宮の
練り合わせの様子です。

相互リンクして頂いています
試行錯誤のすぱいらるさん」と
亀山玄武会の会長様」から写真を御提供して頂きました。

まずは写真をご覧下さい。

※写真をクリックすると少し大きくなります。
Cimg6184
左は「亀山屋台」、右は「飯田屋台」

Cimg6199
奥(左)から「飯田」「亀山」「手柄」の三台練り

Dsc_0221
左は「手柄屋台」、右は「飯田屋台」

自分の感覚として練り合わせは、攻めと守りの真剣勝負。

疾きこと風の如く、徐なること林の如く、
信掠すること火の如く、動かざること山の如し

・・・といったところでしょうか。

試行錯誤のすぱいらる

PicasaWebAlbumsb →
20081012-生矢神社

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天の神様

こんばんは、玄武です。

まず、記事のご紹介の前に・・・。
先程、この記事を投稿したんですが
改行等、ミスがあり記事が見づらい状態でした。
今後気をつけます。

さて、今回は平成20年9月14日に執り行われました
飾磨、恵美酒宮天満神社
北細江屋台完成式で撮影しました水切金具のご紹介です。

あるご縁がありまして彫刻や金具等に大変お詳しい方と
お知り合いになりまして場面など御教授していただきました。

まずは写真をご覧下さい。

※写真をクリックすると少し大きくなります。
Photo
場面は「天神信仰と天満宮創建(水切金具中央)」

取り付け位置は「屋台裏正面」

場面の説明ですが、
道真の死後、都では天変地異が続き、御所への落雷や
藤原時平をはじめ廷臣が次々と変死するなど、
人々の間では、これらの異変が怨霊と化した
道真公の祟りと信じられるようになった。

これを慰めるために天の神として祀ったのが
天満宮の始まりで、現在では学問の神として
広く崇敬されている。

正面と同様、菅公使いの牛を対にして配し、
中央に北野天満宮社殿創建を表現している。

場面の説明はN様です。
N様、本当にありがとうございます。

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地名の由来「亀山編」

こんばんは、玄武です。

つい最近、亀山町内の“自治会だより”に
興味深い記事が掲載されていました。

それは亀山町の町名の由来。

私も数年前に町名の由来に興味を持ち
図書館にて調べた事があります。

色々な説があり、調べるのも結構面白いもので、
今回は簡単ながら少しご紹介しようと思います。

・・・という事で、「屋台と共に習う町名の由来」の一回目。。

「生矢神社 亀山町編」

Cimg6298
まず亀山町の歴史として、天正八年(1580年)
羽柴秀吉の英賀城攻めの後、
英賀御堂をこの地に移し建立され、門前町として開けた。

町は町奉行や代官の支配を受けない本徳寺領となった為
赤穂浪士の家族なども住んでいたという。

「播磨国風土記」によりますと、伊和の里にある十四の丘の一つ
甕の流れ着いた「甕丘」ともされていますが
はっきりしていません。

一説によりますと、亀山本徳寺の境内にある小山に
永延二年(988年)に“めでたいしるし”といわれています、
「三本足の亀」が出たので亀山になったとされています。
こちらは諸説が残っているそうなので、まだ有力!?

自治会だよりに「三足の霊亀」の絵がのっていたんですけど
手元に資料がないので今回はお伝え出来ません。
機会があればお伝えします。

・・・という事で、気が向けばこんな記事も
書いていきたいと思います。

次回は何処の町(村)でしょうか・・・。

今回の写真提供は試行錯誤のすぱいらるさんです。
いつもありがとうございます。

「試行錯誤のすぱいらる」さんのアルバムは下記をクリック!
PicasaWebAlbums → 20081012-生矢神社

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wonderful!

こんにちは、玄武です。

今回のご紹介は、H20年度
「灘のけんか祭り」本宮の様子。

私は見に行けなかったんですが、
親父が見に行ってました。

Cimg0457
H20年「灘のけんか祭り」本宮、広畠で撮影。

妻鹿屋台の新調ということもあり例年より人が
多かったそうです。

最近は外国の観光客の方も
よく見かけるようになりましたね。
写真に写っている外国の方も
「wonderful!」や「great!」など言って興奮していたそうです。

私も数年前の祭りの時に外国人に
不思議な目で見られた記憶があります。
これは文化の違いが関係しているんでしょうかね?



まあ、それはさておき、今年は「妻鹿が凄かった」と
よく聞きました。

灘地区のある村の方は「妻鹿の時代が来たな」
ともおっしゃっていましたし、勢いが違ったそうです。

そんな勢いが凄い妻鹿屋台はです。
Cimg0443

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町並み

こんばんは、玄武です。

天気予報では、今晩から寒くなるそうです。
風邪が流行っていると良く耳にします。
皆様お体ご自愛ください。

さて今回は町並みという事について
記事にしたいと思います。

我が亀山町には姫路市指定文化財(建造物)の
亀山本徳寺(かめやまほんとくじ)があります。
亀山本徳寺は柱に新選組がつけた刀傷が残っています。
また、新選組のTVドラマの舞台になったとしても有名です。

小さい頃は何にも知らず悪い事ばかりしてましたが
思い出深いこの場所が好きな私・・・。

屋台を練るのにも自然と力が入ります。

Img_4849
道路が石畳っていうのが風情があって好きです。

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H21年、とんど祭の詳細

こんばんは、玄武です。

今日は祭りの話では無く、H21年度
生矢神社のとんど祭について詳細をお伝えします。

以前の記事に少しだけ述べていたんですが
今日帰宅時に掲示板で撮影しました。
詳細は以下の写真の通りです。
写真をクリックして頂くと少し大きくなります。
21
亀山町の某地区の掲示板より

秋祭り以外の事でも神社の行事などは氏子として
お伝えしていきたいと思っています。

当ブログを見て頂いて生矢神社に足を運んでくださる方が
増えれば幸いです。

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酔っ払った大蛇

こんばんは、玄武です。

記事の前にお知らせです。
今週末の1月11日に生矢神社、境内にて
「とんど」があります。

「とんど」の時に境内にて各町の餅つきや
当番町が調理されます豚汁が振舞われます。

開始時間は午前10時に火入れだったと思います。
(記憶が曖昧です)
追って後日、詳細を記事にします。

さて今回は「大蛇退治」のご紹介です。

まずは写真をご覧下さい。

※写真をクリックすると少し大きくなります。

Photo
場面は
「素盞嗚尊 大蛇退治(すさのおのみことおろちたいじ)

この高欄掛は平成20年9月21日に執り行われました、
「英賀(あが)神社」西浜屋台完成式で
撮影させて頂いたものです。

取り付け位置は「東」

「絹常」製作

素盞嗚尊」ですが、「素戔嗚尊」や「須佐之男命」
とも表記されます。

日本書紀によると「伊弉諾尊」と「伊弉冉尊」
(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)の間に生まれた
子供とされています。

姉は「天照大神」(あまてらすおおみかみ)

「素盞嗚尊」や「天照大神」といえば、少し前に
ご紹介しました「天の岩屋戸」でも登場しています。

諸説によりますと、素盞嗚尊は大蛇を退治しています。
その大蛇は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)といって
出雲の地を荒らしていました。

八岐大蛇は、8つの頭と8本の尾を持つ魔性の蛇。
年ごとに一人ずつの娘を食うという。

素盞嗚尊が出雲を訪れた際に
八番目の娘「櫛名田姫」が生贄にされるという事を
娘の老夫婦から聞いた。

「櫛名田姫」は美人だと聞いて俄然やる気が出てきた
素盞嗚尊!

ただ大蛇相手にそのまま立ち向かうのではなく、
作戦を練って大蛇と戦う事とした。
作戦とは、戦う前に八つの“かめ”に入れた酒を
大蛇の住処に運んでおいた。

少しおいて大蛇の所に行くと酒をたらふく飲んでいた大蛇は
猛烈に酔っ払っていた。

これはチャンスとばかりに持っていた名刀(霊剣)の
十握剣(トツカノツルギ)で大蛇の首を切り落とした。
大蛇も途中で目が覚めるが、酒に酔っていたのと
素盞嗚尊の動きには勝てなかった。

大蛇に勝った素盞嗚尊は尾にも剣を振り下ろすと
大蛇の尾から、(その後)三種の神器として伝わる
「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」が出てきた。

その後、「素盞嗚尊」は「櫛名田姫」と結婚します。

素盞嗚尊は英賀神社の英賀東屋台の露盤にも
今回と同題で登場していますね。
露盤の写真はです。
Simg_3829

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神域への入口

こんばんは、玄武です。

最近、仕事もそうですが、家の事でもバタバタとしていて
満足に更新が出来ません。
ポツポツ更新ですがご了承ください。

さて今回は神社のある部分について
調べてみました。

それは「鳥居」です。

私もそうでしたが、名称までご存知の方は
あまりいらっしゃらないみたいです。

今回は簡単ですが写真を編集して、
名称が分かるようにしてみましたので写真をクリックして
ご覧下さい。

Img_2788
Simg_2788
写真は生矢神社の鳥居です。

そもそも鳥居とは、神域と人間が住む世界を分けた結界
つまり、神域の入り口といったところでしょうか。

その起源は明らかにされていません。

鳥居の名称の由来は、
日本の神社の使いが鶏でその鶏が止まる横木が
鳥居の原型になった。(天の岩屋戸と関連か?)

又は、「通り入る門」から鳥居と呼ばれ出したなど
由来も確かなものではないそうです。

この生矢神社の鳥居の名称は「明神鳥居」と呼ばれるそうです。
曖昧です。間違っていたらコメント下さい)

形式は一般的な鳥居だそうです。

皆さんも一度ジックリご覧になってはいかがでしょうか?

※全ての神社の鳥居がこの記事の通りではありません。

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弓の名人

こんばんは、玄武です。

短い!?正月休みも終わり、今日は初出勤でした。
最近、曜日の感覚がずれていたので、
今日は月曜日と思っていましたが、日曜日だったのね・・。

ああ~しっかりしよう・・・。

さて今回は弓の名人のご紹介です。
まずは写真をご覧下さい。

※写真をクリックすると少し大きくなります。
Photo
写真は平成20年9月14日に執り行われました
飾磨、恵美酒宮天満神社「北細江屋台完成式」で
撮影した高欄掛です。

取り付け位置は「真右(西)」

人物は「亀井六郎(重清)」

場面は「鵯越え」(全場面共通!?)
※記憶が曖昧です。間違っていたらご指摘ください。

では、この亀井六郎とは・・・。

源 義経の四天王の一人で、元の名は鈴木といいます。
兄に「鈴木三郎(重家)」がいます。

高欄掛でも弓が刺繍されていますが、
亀井六郎は弓の名人とされています。

亀井六郎は下記の逸話や風説もあります。

鎌倉時代、静御前(義経の愛妾)が源義経をしたって
奥州に向かう途中に咽の渇きに困っていたところ、

亀井六郎が神仏に祈って手にした槍で地面を突いたところ
その場所より清水があふれ出たという説話。

また、源頼朝を取り上げた乳母が
「亀井六郎」の母だったとの風説もあります。

登場人物を知り、調べていくと面白いものです。

写真は相互リンクさせていただいています
試行錯誤のすぱいらるさんよりご提供して頂きました。

他にも沢山撮影されていらっしゃいますので
下記リンクからご覧下さい。
20080914-北細江完成式 (PicasaWebAlbums)

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元気溌溂!

おはようございます、玄武です。

このお正月は家族とゆっくり出来ました。
しかし、私はお正月休みも今日で終わりで、
明日から仕事です。
気持ちを切り替えないとね・・・。

さて今回はそんなだらけた気持ちも吹っ飛ばす!?
勢いの動画のご紹介です。

動画はH20年度 生矢神社秋季例大祭 本宮の
亀山屋台の拝殿前です。

※手振れがあります。ご了承ください。

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新年の気持ち

Simg_5145
H21年 生矢神社にて

読者の皆様、

新年あけましておめでとうございます。

昨年中はお世話になり心よりお礼申し上げます。

さて当ブログ、
今年はいろいろと各地の祭りを見に行けたらと思っています。

また、更新も出来る限り続けていければ・・・と思っています。


皆様、本年も「屋台蔵」応援の程、宜しくお願い致します。

Img_4476_2
英賀神社「西浜屋台」の露盤

読者の方々の幸せが多い年であります様・・・
お祈り申し上げます。

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