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2009年6月

長寿と鹿

こんばんは、玄武です。

今回のご紹介はこちら。

Photo
この写真は、H20年9月21日に執り行われました
英賀神社、西浜屋台完成式で撮影しました
西浜屋台の露盤(ろばん)です。

露盤(全体)の場面は、「七福神と鳳凰船」
彫刻は「二代目 小河義保」 師 と「高谷木三郎」 師の合作。

この面の人物ですが、写真の向かって
左は「寿老人」 右は「大黒天」です。

では今回は左の「寿老人」を少しご紹介しましょう。

寿老人は七福神の一つで長寿の神として知られています。

この神の一番の特徴は神の側に
「鹿」を従えている事でしょうか。

鹿は長寿と自然の象徴として古くから伝えられるそうで
諸説ではその鹿は1500年も生きていた鹿だそうです。

また扇を持っているのも見られます。
これは悪いものを、この扇で追い払い
良いものを招き入れるという言い伝えが
中国にはあるそうです。

この彫刻にはありませんが、「杖に巻物を付けたもの」や
「食べ続けると長寿になるという桃」を持っていたりします。

この寿老人は福禄寿(ふくろくじゅ)と同一神とされるそうで
似た点が多々あるそうです。

寿老人は側に「鹿」、福禄寿は側に「鶴」など
七福神をパッと見た目で判断するのは神の側に
何があるのか見たら分かりやすいかもしれませんね。

もう一人の神、「大黒天」は次回以降ご紹介する予定です。

以前に今回の記事以外の神(三面)はご紹介していますので
良かったら下記をクリックしてご覧下さい。

神の姿は・・・。

太鼓腹

大漁!?

鶴が側に。

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担う

こんばんは、玄武です。

忙しい日々が続きバタバタしています。
無事この夏を乗り切れるのか少し心配です。

そんな疲れている時でも癒される事はあるもので
私の場合の癒しは子供でしょうか。

今日も仕事だったので嫁さんと息子は
ある場所へ行ったようです。

Image001161_2
JR姫路駅に新幹線を見に行ったようです。
その駅構内にある先代「松原屋台」の前にて

嫁曰く屋台を見た瞬間に走っていったようです。

仕事から帰って息子に会うとしっかりと
説明してくれました。

他の日はというと・・・。

Simg_5962
本当は返却しないといけないのですが
昨年は亀山の法被を返していませんでした。

何処から出して来たのか分かりませんが
しっかりと着ています。
鉢巻も・・・。

これが祭りで着用するものと分かっているのですね。
早く大人になる事を祈るばかり・・・。

この子は将来を担(にな)う事になるのか?

自分に出来なかった事をしてほしいと思う気持ちと
将来、練り子が少なくなって祭りが出来ないなど
少子化の心配をしてみたり・・・。

この子の将来はどんな世の中になっているんだろう。

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二つの印

こんばんは、玄武です。

今回のご紹介は簡単ですが・・・。

写真をご覧下さい。
Photo_2

Img_4522_2
こららの写真はH20年9月21日に執り行われました
英賀神社、西浜屋台完成式に撮影したもの。

“二つの印”

それは、屋台の象徴ともいえる“屋台紋”のことです。

英賀神社、西浜屋台は
正面と裏正面(南北)は「菊水紋」
左右(東西)は「梅鉢紋」となっています。

写真の上が「菊水」
下の写真が「梅鉢」ですね。

菊水紋は村の縁となっているそうですが
縁の話は残念ながら忘れました(汗)

梅鉢は「天満天神(菅原道真公)」からでしょうか。

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こんばんは、玄武です。

蒸し暑いですね。
今日は比較的に蒸し暑さは無かったですが
やはり暑いです。

皆様、体調管理をしっかりとしてくださいね。

さて今回はH20年、生矢神社秋季例大祭、
本宮の「亀山屋台」宮入の様子。

生矢神社には短いですが坂があり
その坂の上に社殿があります。

この坂ですが、短くても急な角度の坂になっていて
屋台を落とさずに上るのが練り子の暗黙の
ルールというか目標になっています。

坂を一気に上るので坂の一番下で
拍子木をいれて、練り子の腰を伸ばします。

S
さあ上るぞ!と気合いが入ってマス。

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合同で・・・。

こんばんは、玄武です。

今回はハッキリ言って祭りに関係ありません。

昨日は亀山玄武会と松風会との合同でのBBQでした。

亀山玄武会といいますのは、今までも当ブログで
度々ご紹介しています亀山町の私設団体です。

私もこの会に所属していまして、まあ、簡単にいうと
「年を取っても祭りをこのメンバーで楽しもう会」。

単純に祭りを楽しめればいいんですが
私達の中にもルールが幾つかあって
その中の一つが「地域に密着している事」というのがあります。

つまり古紙回収、餅つき、地蔵盆などの
地域行事への参加です。

何も見返りはありません。
というか、そんなのも望んでいません。

会を発足した時に皆から
自然とそんな意見が出ました。

今現在は10人ちょっとの会になります。
(それ以上増やすつもりも無い)

こちらはいつもの会。

そして冒頭で書きましたが「松風会」

こちらは祭りに関係ないですが
色んな業種の方が集まった「飲み友達」の会。

祭りに全く関係ないといっても私を含め
祭りが好きな人間も数名所属しています。

その業種も様々。

居酒屋さんの大将から美容院のカリスマオーナー
専門職、等々々、色んな人がいます。

そして、BBQの様子はというと・・・。

ご家族でのご参加という事もあり
お子さんが走り回る中、大人は肉を焼き、そして食う!

そして、飲む!

まあ、皆さんよく飲むこと!(自分も含め?)

飲むと当然!?祭りの話になり
大いに盛り上がりました。

こんなのも、たまにはええな~と思いつつ
家路に着いたのでありました。

参加されました皆様、本当にありがとうございました。

・・・で、

怒られるかもしれませんが・・・。

亀山玄武会、会長が撮影した松風会の“相談役”
20090621221626
姫路で居酒屋さんを経営されています
酒好きおやじの一夢庵さん。

ご夫婦での一枚。

厳ついですが、お茶目なお方です。

亀山玄武会、また、個人でも大変お世話になっており
とても尊敬しているご夫婦です。

※一夢庵さんは当ブログ「屋台蔵」と相互リンクしていただいています。

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昨年を・・・

こんにちは、玄武です。

今回のご紹介は昨年の“この祭り”を
写真にて振り返ります。

この当日は全ての町(屋台)を撮影していません。
従って全ての町を投稿する訳ではありませんので
予めご了承願います。

また写真を多めに掲載する関係で今回は一部を除き
サイズを小さくして投稿しています。

写真をクリックすると少し大きくなります。(一部を除く)

Img_4682_6
今回はH20年、飾磨「恵美酒宮天満神社」の本宮の様子。
山陽電鉄「飾磨駅」の北側の道での様子。

幟が屋台を先導し、やって来ました。
「都倉」「清水」「玉地」「北細江」の幟です。

Img_4685_5 Img_4687_5 Img_4690_3
写真の左から、都倉と東堀が練り合わせの様子。
中はその様子を東堀から見た様子。
右は御幸(ごこう)の屋台練りの様子。

Img_4691_4 Img_4694_2 Img_4695_2
こちらは「玉地(たまち)」の様子。
紙手(シデ)の海の中を激しく練る玉地屋台
伊達綱を振って前進しています。

Img_4696_2 Img_4698_2 Img_4699_2
こちらは「清水」の様子。
自分のイメージとしては伊達綱と乗り子(太鼓打ち)の
衣装(頭巾)が印象的です。

Img_4701_2 Img_4702_2 Img_4704
北細江屋台です。
平成20年に漆塗り、錺金具装飾、狭間が完成しており
同年9月14日に屋台完成式が執り行われました。
水切り金具に姫路城など他では見られない箇所も
随所にあり(恐らく)播州一の大きさを誇る屋台です。
当ブログでも完成式の様子を過去にお伝えしています。

Img_4707_2 Img_4708_2 Img_4710_2
こちらは「
小瀬屋台」の様子。
平成19年に念願の大屋台が新調されています。

H19年の屋台新調の入魂式をちょっとだけ見に行きましたが
乗り子が小学生でした。
自分の見た正直な感想は
しっかり太鼓を打っていて感心したのを思い出しました。
練り子が少なく苦労していると聞きました。
頑張ってほしいです。

さて、これまた全ての町ではありませんが
過去にこの場面の動画を投稿しています。
宜しかったらでどうぞ。
平成20年、恵美酒宮天満神社 本宮

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今生の別れ

こんばんは、玄武です。

さて私事ですが、来週の半ばから
当分の間、仕事が忙しくなります。
仕事の準備等を考えても来週初めから
当分(二週間?)は更新が出来ません。

というか、更新しようとすれば出来ますが
かなりハードスケジュールの為、フラフラで帰宅するので
恐らく無理と考え、「気まぐれ更新」とします。

毎日閲覧して下さる方、本当にすいません。
まあ、気長にチェックしてみて下さいね。

さて今回は「今生の別れ」です。
写真をご覧下さい。
Photo
この写真はH20年、湊神社、宵宮で撮影した
児嶋屋台の狭間です。

二代目、松本義廣による作品で昭和6年の製作です。

場面は「桜井駅楠公父子訣別の場」です。

この場面は「亀山屋台」の狭間も同じのがありまして
「亀山屋台」の狭間は下の写真になります。
Photo_2
亀山屋台は彩色と箔押しはしていません。

ちなみに亀山の狭間の製作は、三代目、松本義廣。
昭和22年制作。

場面の説明ですが・・・

大忠臣・楠木正成は、柔弱な長袖連中のために
足利尊氏を兵庫浜にて邀撃するという
不利な戦に挑まねばならなくなった。

出陣する時に正成は桜井駅に息子の正行を呼び
形見の短刀を手渡し今生の別れをする場面。

当ブログの以前の記事より

さらにもう一つ。

この「駅」とは
当時の宿場の事をいい(詳しくは長すぎるので無理デス)
宿場の事を「宿駅」とも呼ぶそうです。

桜井とは大阪府にある地名、現在は桜井駅跡、
つまり史跡(しせき)として残っているそうです。

人物に関してもちょっと“ジ~ン”とする物語がありまして
諸説によりますと「父・楠木正成」が「息子・正行(マサツラ)」
を桜井駅に呼び出し形見を手渡しこう言ったそうです。


「私は生きて帰らないつもりで戦場に向かうのでお前は

故郷の河内に帰って朝廷に忠誠を誓いなさい」

当時、息子の正行は(推定)11歳とされています。

この物語の意味を知り、この狭間が好きになりました。

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意見

こんばんは、玄武です。

今回は祭りや屋台に関するご紹介ではありません。
最近、気になっている事で書かせて頂きます。

私の偏屈な意見がズラズラと書いていますので
祭りや屋台の詳細が見たいという人は今回は無縁です。

ご了承下さい。

見てやるか!という人は、どうか腹を立てずに
ご覧戴ければ・・・と思います。

そもそも、このブログ「屋台蔵」を開設した理由。

詳しく全部は書きませんが、開設前にネットで
「生矢神社」や「亀山屋台」と検索しても
屋台の詳細は一部は出てきますが
詳しく出てきませんでした。

より多くの祭りの写真や亀山屋台の写真が
投稿されてなかったのが現実でした。


播州は祭りのメッカでもあります。

しかし他府県の人は「ナンじゃそれ?」
なんて人も多いのも現状なのです。

私は生まれも育ちも播州っ子。

だから播州の祭りが好きです。

特に氏神様の生矢神社の祭りが好きで
生矢神社の祭り、亀山の祭りを少しでも
多くの人に知ってもらいたい、そんな気持ちで開設しました。

今は他の祭りを見に行くのが楽しみで仕方ありませんし
分からない事だらけの屋台の詳細を調べて発見をしたり
感動したりして記事を書いています。

正直、自分は物覚えが良くありません(汗)
だからこのブログは自分への辞書みたいな感じでもあるのです。

ブログやHPなどという言葉で「一まとめ」にしては何ですが
“それ”をしているからこそ「人との繋がり」も生まれました。

いい面もあれば悪い面もあります。

ネットという世界はお互いが面と向かって
話をする場ではありません。

だから好き勝手言える事も出来ると思います。

最近、ある祭りの掲示板で私の知り合いを貶すような
コメントを書き込む輩がいるのを見つけとても悲しくなりました。

その貶された知り合いは的形の児嶋に住まれています。

祭りが好きで好きで仕方がありません。

湊神社の祭りを愛し、地域をこよなく愛す男です。

少し前から知り合いになり酒も飲みました。
その席でその方の情熱、地域に対する本気の思いに
本当に胸を打たれ感動しました。

掲示板の言う事の詳しい事は私は部外者なので
この場での記入やコメントは避けますが
もしそれが真実だとしても人間は誰しも間違いはあります。

「十人十色」という言葉もあります。

誰しも同じ意見を持っているとは限りません。

本当にその意見が言いたいのなら
回りくどい言い方をしないで直球で掲示板に書き込むのも
本当の形だと思います。

特定できそうな人物の批判や貶しを書き込むのは
人としてやってはいけない事と思うのです。

その方にも家族があります。
友人も沢山いらっしゃいます。

家族や友人がそんな掲示板をご覧になられて
貶されていると分かったら悲しくなりますよね。

このブログを見て頂いている方に
そんな卑怯な方はいないと信じていますし
書いても無駄だと思うんですが、あまりの卑怯さ
幼稚さに腹立たしく思い今回の書き込みとなりました。

まあ、当のご本人は

「何時でも面と向かって話はするよ!」 「何時でもどうぞ!」

との事なので、そのへんは心配はしていません。

さて、あくまで噂ですが・・・。
児嶋は屋台新調をするかも?という話を聞きました。

その方も屋台新調に向けて活動されているそうです。

※新調はあくまで噂です。

新調に向けて動かれているという事であって
現段階(6/16)では新調するという
確実な答えではありませんので
誤解の無いようにお願いします。

また児嶋屋台新調に関しましてのコメントは
部外者の私にはお答えできません。
児嶋自治会にもご迷惑が掛かりますので
その件に関してのコメントは削除させて頂きます。
予めご了承下さい。

ここまで閲覧してくださった方。

支離滅裂な文章にお付き合い下さり
本当にありがとうございます。

最後に・・・。

児嶋の皆さん。

屋台新調、実現するといいですね。
Img_4967

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睨みをきかす

こんばんは、玄武です。

今日(日曜日)は亀山町の古紙回収でした。
参加されました皆様、お疲れ様でした。

我が亀山玄武会も会長始め
数人ですが参加させて頂きました。

「町内の行事にも参加していこう」と
約束事ではないですけど、発足からの決まりがあります。

町内の行事に参加したからといって
別に何かがあるわけではありません。

しかし行事に参加することによって地域の為に
少しでも役に立てれば・・という発足当時の皆の思いが
今回の様な古紙回収とかにも繋がっているんだと思います。

こうやってやっていると祭りの時に酔っ払っていても
多めに見てくれそうな気が・・・(笑)

さて今回はどうでもいい事ですが・・・
PCの壁紙変えました。

稀にお伝えはしていますが、今回はです。
S_050
この写真はH17年、生矢神社秋季例大祭
本宮の亀山屋台の宮入の様子。
※写真をクリックすると少し大きくなります。

露盤の「碁盤忠信」が睨みをきかせているようで
結構好きな写真です。

ちなみに「碁盤忠信」は過去にご紹介しています。
気になる人は下記をクリックして下さいね。

亀山の露盤の「碁盤忠信」

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名匠

こんばんは、玄武です。

近畿県内も梅雨入りしたそうですね。

体調を崩しやすい時期でもあります。
体調管理はしっかりとしましょう。

さて今回は随分前に当ブログでも記事にしました、
先代、松原屋台のご紹介。

今回は名匠について。

ご存知の方も沢山いらっしゃるでしょうが
ご存知ではない方に少々ご説明します。

松原屋台は「灘のけんか祭り」で全国的にも有名な
「松原八幡神社」の氏子の一村であります
「松原地区」の屋台です。

現在の屋台は平成17年に新調され、
平成18年に漆塗りと錺装飾が施され完成しました。

今回記事にしています昭和55年製作の先代屋台は
JR姫路駅の構内に展示されていて
新幹線のホーム下に屋台がそのまま展示されています。

新幹線を利用すれば問題なく見る事が出来ますが
それ以外は駅構内への入場料を払い(切符を買って)
見る事が出来ます。

その先代、松原屋台。
S2006051105

駅の中ではありますが凄い迫力ですよ。

観光客の方で写真を撮影する方をよく見かけます。

S2006051102
↑チラッと写っている頭は九州の姪っこです。

屋台の手前には先代、松原屋台の詳細が
展示されています。

他府県の知り合い(祭りを知らない)は
実際に屋台を見てこの詳細を見ると分かりやすかったと
言っていました。

知り合いが言っていた言葉は「匠の技の結集やね」。

Simg_2271

Simg_2262
名匠が魂をこめた屋台。

機会があれば是非ご覧下さい。

私もまた見に行こう。

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風情

こんばんは、玄武です。

祭りには様々な風情があると思います。

激しく屋台を練る様子、他町との練り合わせ・・。

私の町、つまり亀山は宵宮、本宮とも
屋台の町(村)練りを大事にしています。

多分そうやって先輩方は今まで祭りをしてこられたと思います。

ここからは持論。

私の個人の考えですが、「町人あっての祭り」であって
祭りは老若男女も楽しめるもの!・・・と思っています。

確かに屋台を練るのは男衆でしょう。

しかしそこにはそれを支える方(女性)もいらっしゃるわけで
その方々を粗末にしてはいけないと常に思っています。

本宮の夜、ちょっと所要で実家に寄りました。

実家にいたのは数分でしたが実家の近所で
村練りをする屋台に合流する時、
近所のおばちゃんが「怪我せんと頑張りや」と
水を飲ませて下さいました。

祭りでは「力水」と言いますね。

優しさがタップリ入ったその水は
本当に力が出てくる美味しい水でした。

ぼんやりうつる屋台に合流しようと
走っていったのを思い出します。

Photo

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感動!四国の太鼓台

こんばんは、玄武です。

今日は播州の「神輿屋根型屋台」
通称、
屋台を少し離れまして、四国の太鼓台を
ご紹介しようと思います。

ご紹介しますといっても私は太鼓台の事は全くの素人。

数週間前でしょうか、当ブログを閲覧して下さっていた
「川之江祭り好き さん」よりコメントを頂きました。

数回のコメントのやり取りで
「川之江祭り好き さん」の地区の大人の太鼓台が
昨年、70年ぶりに新調されたと知り、
是非その写真を見てみたいと思っていました。

その後、連絡を取り合い写真を送って頂きました。

ご本人に確認を取らずに当ブログで写真を掲載するのは
どうか迷いましたが、これは皆さんにも見てほしい
立派な太鼓台です。

081013_1117010001
「川之江祭り好き さん」の地区の平木太鼓台です。

以前下さったコメントによりますと
「川之江祭り好き さん」の地区平木太鼓台のある地区は
愛媛県四国中央市妻鳥(めんどり)町
三皇神社の氏子さんですね。

70年ぶりに新調された見事な太鼓台です。

播州の御輿屋根型屋台とは形や大きさが全然違います。

ちょっと調べたんですが間違っていたらすいません。

一番上は「とんぼ」、その下は「七重」という名称。

下の写真を見てみると・・・。

081013_0847010001

二枚目の写真では「七重」が取り付けてありませんね。
「七重」を乗せる直前の写真だそうです。

「川之江祭り好き さん」が教えてくれた解説によりますと
七重受けや欄干の彫刻類、四本柱等は
「唐木」と呼ばれるそうです。

新調太鼓台の白木はいいですね。

081013_0849010001
四本柱から上部の写真です。

「川之江祭り好き さん」よりの解説を
そのままコピーしています。

一番上が七重受、その下が蛙又(かえるまた)、
四隅から突き出ているのは木鼻です。

蛙又には四神獣(青龍、白虎、朱雀、玄武)、
木鼻は、唐獅子が彫られています。
~「川之江祭り好き さん」より~

全て取り付けられると重さは2~2.6tもあるそうです。

それを担ぐんですから凄い迫力でしょうね~。

機会があれば是非見に行きたいと思っています。

「川之江祭り好き さん」
写真は了承を取らずに掲載していますので
不都合があればコメントください。

また素人の私が自分なりに調べて記事にしている
箇所もありますので間違い等があればコメントをお願い致します。

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鶴が側に。

こんばんは、玄武です。

日中、暑い日が続きますね。
皆様体調には十分気をつけて下さいね。

私の腰痛も最近の所、激しい痛みは無く
“腰痛終息宣言”もそろそろでしょうか。

まあ、油断はできませんが・・・。

さて今回は前回に引き続き
H20年9月21日に執り行われました
英賀神社、西浜屋台完成式に撮影しました
西浜屋台の露盤(ろばん)のご紹介です。

以前からご紹介していますが
露盤(全体)の場面は、「七福神と鳳凰船」

彫刻師は「二代目 小河義保」 師 と「高谷木三郎」 師の
合作となっています。

前回の記事は大漁!?

それ以前の記事で
以前にご紹介しています露盤の他の場面は
神の姿は・・・。

太鼓腹  (クリックすると紹介ページに飛びます)

今回は鶴が側にいる神様です。
下の写真をご覧下さい。
Photo
前回ご紹介の神様は写真の向かって左側の「恵比寿」

今回は向かって右の「福禄寿(ふくろくじゅ)」です。

福禄寿は七福神の一人で、古代中国の道教よりくる神様で
「幸福」「封禄(俸禄)」「長寿」の三徳を兼ね備えた神様です。

この三つの言葉から「福・禄・寿」→「福禄寿」となりました。

この三つの言葉ですが、
幸福と長寿はお分かりになると思います。

では「封禄」ですがこの言葉は
私は存じません。

調べると「封禄」は「俸禄(ほうろく)」という言葉の
解釈もあるそうです。

では「俸禄」とは・・・。

昔の給料などお金の事です。

まだ当ブログでご紹介していませんが、
七福神の一人で西浜町の露盤の題材にもなっています
「寿老人(じゅろうじん)」と雰囲気が似ていると思います。

では見分け方。

「福禄寿」ですが、短身で長い頭でヒゲを蓄えています。
手には経巻(きょうかん)を結んだ杖を持っています。

もっとも分かりやすいのは「福禄寿」の側には
「鶴」を連れています。

※絵図では鶴を連れていない時があります。

今回はしっかりと鶴を連れていますね。

この写真は前回ご紹介しましたが「福禄寿」のご紹介が
まだですので今回も投稿しています。

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大漁!?

こんばんは、玄武です。

今回のご紹介は、
H20年9月21日に執り行われました
英賀神社、西浜屋台完成式に撮影しました
西浜屋台の露盤(ろばん)のご紹介。

以前からご紹介していますが
露盤(全体)の場面は、「七福神と鳳凰船」

彫刻師は「二代目 小河義保」 師 と「高谷木三郎」 師の
合作となっています。

以前にご紹介しています露盤の他の場面は
神の姿は・・・。

太鼓腹  (クリックすると紹介ページに飛びます)

今回はこちらの神様。

Photo
この神様は向かって左から「恵比寿」と「福禄寿」

まずは「恵比寿(えびす)」ですが、
「えべっさん」や「えびっさん」として
現在は商売繁盛の神様としてあまりにも有名ですね。

恵比寿は日本古来の唯一の神様でもあります。

元々は海の神、海神と称されていたそうです。
現在も恵比寿を海の神様として祀る神社もあるそうです。

本来、海の神として崇められる恵比寿は
鯨やシャチなどが獲物を追って湾内に入ってきた所
それらの餌である魚が人間の獲物だった所から
鯨などが現れると大漁になると信じられていました。

神話によりますと、恵比寿は「大国主命(大黒様)」の
子供、事代主命(ことしろぬしかみ)であったとされ、
ある時に大国主命の使者が所要で恵比寿の所に行った所
恵比寿は海で釣りをしていたとされています。

七福神の絵図などに恵比寿が釣りをしていたり
鯛を釣っているのはその神話によるものでしょうね。

地名でも東京に「恵比寿」がありますし、
一般的!?なのか分かりませんが
サッポロビールの「エビスビール」が有名ですね。

話がそれてなんですが、その「エビスビール」。

知っている人は知っている・・・の話です。

小、中、大ビンのラベルにご注目してみて下さい。

普段のラベルの恵比寿は鯛を“一匹”抱えています。

しかしごく稀、数百本?に一本の割合で
鯛を“二匹”抱えられた恵比寿のラベルがあるそうです。

「ラッキーエビス」と呼ばれるそうですね。

二匹いるからといって特にそれといって何も無く、
それをメーカーに送っても多分というか
何も無いはずですが・・・。

まあ、このラベルには当たりません!

ちなみに缶には“二匹の恵比寿”は存在しません。

今晩はちょっと贅沢「エビスビール」はいかがですか?
(当記事はメーカーと何の関係もありません。 あしからず!)

長くなりましたので「福禄寿」は次回にご紹介します。

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飯・手・亀

こんばんは、玄武です。

少し前から痛めていた腰。

病院行ってるんですけどね~。
どうにもすっきりしません。

・・・というか日ごとに
痛くなってきている!?かもしれません。

ああ・・・最後は必殺技の“針治療”ですかね。

皆さんは腰が痛い時どうされているんでしょうか?
御教授願います。
良かったらコメントください。

・・・・・。

まともにPCに向かってられません。

という事で、今回は写真のみのご紹介です。

Photo

H20年、生矢(いくや)神社、秋季例大祭の本宮の
馬場での屋台の三台練り。

左から「飯田屋台」 「手柄屋台」 「亀山屋台」です。

もっと側で“ど迫力”の写真を撮影したいですが、
ガッツリ練っていますので当然無理です。

この写真は知り合いから頂戴しました。

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飛び超える!?

こんばんは、玄武です。

腰が痛いのも病院に通院していますので
幾分マシになってきました。

しかし週末など病院に行けない時は
かなり痛いです。

“あとちょっと・・・”が治らんもんですね。

さて今回は「飛び越える」です。

皆さんは「八艘飛び(はっそうとび)」という言葉を
ご存知でしょうか?

まずは下の写真をご覧下さい。

※写真をクリックすると少しだけですが大きくなります。
___
この写真はH20年9月21日に執り行われました
英賀神社、西浜屋台完成式に撮影しました
水切り金具です。

写真は向かって左から
「平清盛」 「義経八艘跳」 「厳島神社」 「那須与一」
となっています。(一番右は飛龍?)

“左から二番目”に「義経八艘跳」とありますが
「八艘跳び(飛び)」について少々ご説明します。

義経八艘跳びとは
壇ノ浦の戦いで源義経が船から船へと飛び乗った事が
諸説から伝えられています。

義経は一の谷の戦いに破れて海に落ちのびようとする平家を
壇ノ浦(屋島)で待ち受けて、一気に撃追しようと
敵船めがけて突進した。

平家には「教経」がおり、せめて敵の大将の「義経」を
道連れにしようと義経の船を見つけて乗り移った。

教経は小長刀を持って義経に挑み飛びかかるが、
義経はひらりと体をかわして、
隣の船に乗り移り、次から次へと船を八艘も飛び越えた。

この事から「義経八艘跳び」と呼ばれるようになりました。

大河ドラマなどで、この事が取り上げられたそうですが
私は存じません。

ちょっと話は変わりますが、
意外!?に相撲ファンの私。

思えば数年前に、この人物から「八艘跳び」という言葉を
教えてもらったのかもしれません。

「技のデパート」と呼ばれた、元小結 「舞の海」さん

舞の海さんは「猫だまし」や「八艘跳び」など
子供が喜ぶエピソードも多いそうで、
多彩な技で大型の力士を次々と倒していた姿が
とても印象的でした。

さて“右から二番目”の「那須与一(なすのよいち)」ですが、
幼い頃より弓の腕が達者だったとされています。

源氏と平家の「屋島の戦い」で
「揺れる舟上の扇の的を射よ」と平家が立てた扇の的を
見事に落とした、源氏方の武士としても知られています。

水切り金具を見ると・・・。

確かに。。

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